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28 agosto 歴史の大切さセミの大合唱が沈静化し始め、夜になると秋の虫の声が聞こえ始
めました。季節は夏から秋へ移り変わろうとしています。
さて、拙ブログでも以前紹介した「歴史の真実を学ぶパネル展」
(カテゴリ欄の[イベント]をクリックすると記事があります)のことが
8月20日の産経新聞岡山版に取り上げられ、運営委員長の
西川晃夫さんのインタビューが載っていたので、今回はそれを記し
ます。
「後を頼む」 戦友の声今も
終戦から六十年の節目を迎えた今年、公正な目で戦争の時代
を見つめ直す「歴史の真実を学ぶパネル展」が開かれている。
中心となって取り組んだのは、自らも海軍の特攻隊に身を置いた
経験を持つ運営委員長の西川晃夫さん(77)。
「今の日本を、あの戦いで亡くなった方々に誇れる国にしなければ」。
自らの戦争体験を踏まえ、そう力を込める西川さんに話を聞いた。
◆パネル展を開催しようと思った動機は
明治以来、先人たちが築いてきた民族の誇りに対して、認識を
深めてほしい、という思いから。自分で資料用のパネルを購入する
などして始めた。戦争という言葉に拒否反応を示す若者もいること
も考え、「歴史の真実を学ぶ・・・」というタイトルをつけた。
パネル展では、戦中や戦後を中心に東京裁判、満州事変といった
歴史的事件を当時の新聞報道を交えながら紹介して、その実態
を伝えている。
◆パネル展で注目して欲しい点は
占領軍司令官、マッカーサー元帥の言葉だ。彼は昭和二十六年
五月、米国上院軍事外交合同委員会の席上で「日本の戦争は
自衛のためのものだった」と、侵略戦争ではなかったことを明言して
いる。いまの学校教育やマスコミでは、こうした事実が伝えられてい
ないのが現状ではないか。
◆自身の戦争体験で印象に残る出来事は
戦時中は山口県の海軍潜水学校柳井分校にいて、二人乗り特
殊潜航艇「海竜」の訓練を続けていた。その際、魚雷に操縦席の
ついた「人間魚雷 回天」に乗って出撃する戦友たちを見送ったこ
とがある。彼らは敵艦に体当たりし、帰ってくることはない。夕日の
逆光で、その表情を見ることはできなかったが、
「後を頼むぞ!」
と叫んだ彼らの声は、今でも耳から離れない。
◆一連の活動に駆り立てる原動力は
日本人としての責任感だと思う。海軍に身を置いていたときも、命
を投げ出してでも国を守るという思いがあった。見送った戦友たちが
その後どうなったかは知らない。しかし、彼らのような尊い犠牲の上
に今の平和は成り立っている。祖国のため、戦いで散った方々に
誇れるような日本にしていくことが、今の時代に求められている。
(引用終わり)
私は西川さんと実際に会ってお話をさせて頂きました。
「後を頼む」と言われて出撃した、戦友の思いに答えなければなら
ないという使命感を持って頑張っておられる話を聞き、私たちの世
代も、命を賭けて戦い、亡くなられた先人の思いを学び、それを
伝えていかなけらばならいないと思いました。
人間はある日突然木の又から産まれてくるものではありません。
父がいて、母がいて、お爺さん、お婆さんがいて、そのまたご先祖が
いて・・・、という縦軸の命の繋がりの上に産まれてきます。
現代は、その「縦軸の命の繋がり」、あるいは石原慎太郎都知事が
よく言われる「垂直の情念」といったものが、全く蔑ろにされている
のではないでしょうか。
「垂直の情念」というのは、端的に言えば「わが国の歴史」のことです。
成功もあった、失敗もあった、栄光も、艱難もあった、そのすべてを自
らのものとして認識し、崇敬する精神のことです。
その歴史を崇敬する精神を共有している者が集まって出来る共同
体が、「国家」であると私は考えています。
そして、国家というのは、現在を生きる私たちが、現在と、現在に
至る過去(つまりこれまでの歴史)を次世代の人々に伝えていって
初めて未来へと続いていくのです。
私が「つくる会」の運動を応援しているのは、そういう歴史の大切さ
を知ったからです。
現在の学校での歴史教育は、負の面ばかりを、時には事実を捻じ
曲げてまで強調して教えています。
これでは、ご先祖や歴史を崇敬する気持ちなど持てようはずもなく
歴史の断絶を生み、やがては日本国を滅亡させる源になるでしょう。
大げさかもしれませんが、私はそう考えています。
つくる会の活動、そして西川さんたちの活動は、真実の歴史や、ご
先祖の思いを伝え、そのご先祖の思いに答える日本国にし、日本
国が滅亡へ向かわないようにとの願いを込めての活動なのです。
最後に、鳥浜トメさんという、特攻隊員のお世話をされていた方の
言葉を記して終わります。
「あの人たちはお国のために尊い命を犠牲にしたんだよ。たった
一つしかない命を投げ打って死んだんだよ。それを忘れたら罰
が当たるよ。日本人なら忘れてはいけないことなんだよ」 14 agosto 特攻隊の方々の崇高な思い今回は、篠沢秀夫先生(学習院大学名誉教授)の雑誌での
インタビュー記事の中で、特攻隊について語っておられる箇所が
あり、それがとても良かったので、掲載します。[篠沢教授はその
昔「クイズダービー」という人気番組に出ておられたのですが、知
らない方のほうが多いでしょうね(^_^;)]
嘆かわしいことに、進駐軍が敗戦した敵国を戦時宣伝そのまま
見たのと同様な眼で、戦前戦中の日本を断罪する日本人がい
るのですね。私は「進駐軍の手先の弟子」と呼んでいますが、例
えば彼らは特攻隊の悲劇を「平和教育」の材料にして、ファナティ
ック(狂信的)な愚行扱いする。隊員たちの心の真実に迫ることを
まったくせずに。
私は特攻隊の行為は愛である、と思います。恩師のモーリス・パン
ゲ先生は、「自死の日本史」という本に特攻隊について書いておら
れます。世界の歴史の中で、決死隊というのは色々あった。しかし
特攻隊の場合は、死を覚悟してから自死を決行するまでの期間が
長い。そのための訓練を受けている。時には何ヶ月も。だから、一時
の感情に駆られてとか、狂信的というようなことではない。自分で納
得しなければ出来ない行為なのだと、パンゲ先生は書いておられる。
私は、霞ヶ浦の特攻隊の記念館に行ったことがありますが、そこに
展示されている写真の中の出撃前の青年たちの目は、なんと澄ん
でることでしょう。彼らは日本のアイデンティティを確かめるために、死
ぬことを受け入れた。多くの特攻隊員は、戦争は負けるだろうという
ことを現地で感じている。それでも敵艦に突っ込んでいく。何のため
か。そのことによって、日本というものはこうだったんだよ、ということが
後世に確認される。それは戦争に負けようとも、やがて引き継がれ
ていくだろう。つまり、彼らは自分の家族のためだけでなく、見たこと
もない我々、残された子孫のために、つまり「見えない愛」のために
死んでいったのです。今も我々は彼らの愛の中に生きているのです。
(引用終わり)
小泉首相は靖国参拝について、「こころならずも亡くなられた英霊
の方々」にお参り行くんだと、よく言われます。
この「こころならずも」という言葉は、辞書(大辞林)で調べると
自分の本意ではないが、やむをえずと記してあります。
確かに、自分の本思に反して戦地へ行かれて亡くなられた方もおら
れるでしょう。しかし、多くの方は、篠沢先生がおっしゃられてるように
後世を生きる我々、残された子孫の為に戦いに行かれたのです。
小泉首相が「こころならずも」と言われるのは、この英霊の方々の
真意を理解しておられないからではないでしょうか。
小泉首相には、是非とも英霊の方々の崇高な思いを理解して
頂き、その上で8月15日に靖国神社へ参拝して欲しかったです。
今年は戦後60年の節目の年でもあるので、8月15日参拝見送
りの決定は残念です。 28 luglio 中国の歴史認識現在の中国は反日一色で、日本の歴史教科書
(扶桑社版)を批判し、「根本的な問題は日本が
正しく歴史を認識することだ」と主張します。しかし
以前の中国の要人は、日本の歴史に対してどう
いう認識を持っていたのか。
以下、いくつか記してみます。
孫文(1866~1925)
「日露戦争のとき各国の人はみな、ロシアが中国の
領土を侵略することを恐れました。・・・中国がロシア
に侵略占領されてのち、こんどは世界各国を侵略し
はじめ、各国はロシアに侵略されるであろうからであり
ます。・・・日露戦争の後日本はロシアを朝鮮、南満
州から追い出してしまい、かくてロシアの世界戦略政
策をくつがえし、東亜の領域を保全し、世界に大きな
変化を生みだしたのであります。・・・日露戦争の結果
として、こんにち、アジアに強盛な日本があるので、世
界の白色人種は、たんに日本を軽視しようとしないのみ
ならず、アジア人をも軽視しようとしないのであります。
・・・たんに大和民族が一等民族という光栄を享受でき
るのみではなく、その他のアジア人もまた国際的地位を
高めうることになったのです」(1924年、広州での講演)
注:日露戦争については、孫文氏の言われる通り
で、世界史的にみても重要事件であると思い
ます。しかし、現在の中国の歴史教科書では
日露戦争については全く触れていません。
毛沢東(1893~1976 共産党主席)
[昭和39年、社会党の佐々木更三委員長が、毛沢東
主席に「中国国民に多大な損害をもたらして申し訳ない」
と挨拶したところ]
「何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義
は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利
を奪取させてくれたではないですか。皆さん、皇軍の力な
しには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう」
注:毛沢東氏は今も中国建国の父として、北京
天安門にその肖像画が掲げられています。
鄧小平(1904~1997 共産党副主席)
「日本は中国を助けたことになっている。・・・日本が蒋介
石を重慶まで押し下げてくれたので、我々は日本軍の占
領地域の後方に広がった。・・・皆さんだけを責めるのは
不公平だと思う」(平成7年6月30日 中国政経懇談会)
いかがでしょう。毛沢東氏、鄧小平氏のお二方は
実際に先の大戦も経験しておられます。それも踏
まえての発言だろうと思います。
翻って現在中国で国政を担っておられる胡錦濤氏
の世代は、戦争体験がありません。日本に対する
歴史認識は、果たしてどちらが正しいのでしょう。
今の中国が主張している歴史認識が正しいという
のであれば、毛沢東氏は正反対の事を発言されて
いるのですから、天安門の肖像画は外すべきでしょう。 23 luglio 歴史認識の共有は可能か?が出版されたそうです。 (詳細は青字をクリック)
しかし、果たして歴史認識というのは、他の国と
共有できるものなのか?
例えば、米国初代大統領ジョージ・ワシントンは 米国から見れば建国の父であり英雄ですが、英
国から見れば、祖国に逆らい独立した反逆者です。
もう一つ。伊藤博文といえば、日本が明治維新を
経て近代化する際に大きな役割を果たした偉人
です。お札の肖像画にもなりました。
この伊藤博文は、朝鮮人の安重根という人物に
ハルビン駅頭で狙撃され、死去されました。
伊藤博文を殺した安重根は、日本からみれば 反日テロリストであるのに対し、韓国では英雄と
して崇敬されています。
このように、国が変われば歴史認識も違うものです。 このことは、私が知る限り、世界では常識として
認知されている事柄です。もっと言えば、歴史認識
が違うからこそ、違う国家を作ってるのではないでしょ
うか。
ですから、試みとしては面白いとおもいますが、歴史
認識を3カ国で共有するのは無理だと思います。
歴史の事実、例えば○年○月に○○事件があった という事を共有しようという試みなら、私も賛成します。
特に日本は、先の戦争で負けて、有る事無い事を
言いふらされているので、侃侃諤諤(かんかんがくがく)
と議論を戦わせ、正しい事実を伝えて欲しいです。
しかし、そこから先の、歴史認識は国よって違うので
それはお互い尊重し、批判したりしないのが、国同
士のマナーであろうと思います。 12 luglio 歴史の断絶その2この、戦前と戦後の歴史を断絶してしまっている
ことが、現在の日本人の精神の荒廃の大きな
要因ではないかと思います。
断絶とは、辞書(大辞林)で引くと、
「長く受け継がれてきた事が切れて続かなくなる
こと。とだえること」と記してあります。
つまり、歴史が断絶してしまってるせいで、戦前
までは伝えられてきた日本人の美徳(勤勉、正
直、謙虚、礼儀など)や、文化、伝統、慣習と
いうものが、戦後は伝えられなくなったということ
なんです。
GHQなどのプロパガンダ(宣伝。特に特定の主義
思想を押し付ける宣伝)のせいで、「戦前=全て悪」
という意識を日本人は植え付けられてしまいました。
そして、歴史を断絶して捉えるようになり、それまで
伝えられてきた良いものまで切り捨ててしまいました。
現在を生きる私たちは、歴史を振り返り、切り捨てて
無くしてしまった大事なものを取り戻さなければならい
と思います。
11 luglio 歴史の断絶その1「日本の常識は世界の非常識」と竹村健一氏が
よく言われますが、歴史認識に於いても、日本は
特異なものになってるように思います。
それは、「戦前」と「戦後」で歴史が断絶されている
ということです。
戦前の日本は真っ暗闇の暗黒時代で、戦後の時代
とは違うから、切り離して観るべきだというものです。
しかし、戦争したのも我々のご先祖で、その後復興
させたのも、その時生き残ったご先祖です。天皇陛下も
戦前も戦後も同じ昭和天皇でした。戦後、※GHQ
(連合国総司令部)により日本軍は解体させられました
が、国体(国家の体裁や国柄)は護持されました。
つまり、戦前も戦後も日本軍が解体されたこと以外は
この国は大きく変わっておらず、現実の歴史は途切れる
ことなく連続して現在へと続いているのです。
ですから、戦前を悪の時代だったとして断絶してしまう
ような歴史認識は、おかしいのではないかと私は思い
ますし、こんな歴史認識を持ってる国は無いのではない
でしょうか。
※ 第二次大戦後、連合国がポツダム宣言及び降伏
文書に基づいて、対日占領政策にあたるために設
置した、連合国最高司令官の機関を言う。 |
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